2012年8月19日日曜日

仏教の伝播

  現在、鼠ヶ関には三つのお寺がある。
 日本の仏教が、インドから西域、中国、さらに朝鮮という仏教東漸の永い歴史の果てに現在ある訳であるが、しからば鼠ヶ関にはいつ頃からどのように入ってきたかを考察してみたい。
 日本人の伝統的宗教心情の素地となった弥生時代、日本列島は昼なお暗き原始林におおわれ、その間をぬって幾条もの川が流れ、荒々しい野獣が跋扈していた。
 仏教伝来期のわが国の信仰の大勢が、いまだ自然神崇拝の段階であったなかで、人間を襲う疫病や自然災害をカミの祟りとする考えは古くからあった。このいっぽうで、祖先神の信仰がようやく発達しはじめていたのである。
 さて、鼠ヶ関についてであるが、古代鼠ヶ関には住居跡が二か所あったと伝えられている。昭和二六年、四三年の二回にわたる発掘調査により明らかになった古代原海の住居跡と、古くから関集落の発祥の地と伝えられている裏沢(浦沢)地区のことである。
 関の瑞芳院の縁起によれば、天徳年間(九五七~九六〇)、攝津の国から来た一老僧が石燈山に草庵を結び、薬師如来を本尊とし、真言宗に属していたが、永仁五年(一二九七)薬師寺浦沢に移り、天正二年(一五七四)新屋四郎右ェ門と関屋八郎右ェ門の両家が、新関因幡守久正の祈願所として創立したと伝えられる。
(現在、瑞芳院本堂脇にある阿弥陀如来像が真宗の証であろうか)
 一方、曹源寺の縁起によれば、大和国葛城山の役小角上人が白雉年間(六五〇~六五四)北国巡遊の砌、難船して当浜に漂流し蓬莱山に庵を結び、仏像経巻を埋め塚となし、行方を修したと伝えられる。(以上、温海町史上巻第五章 宗教と芸能から)
 また、曹源寺由来によれば、のち江戸藩政時代に山濱組鼠ヶ関の大庄屋佐藤氏の先祖が、前九年の役(一〇五一~六二)後、源義家が裏沢に住んでおった佐藤氏をして両軍戦死英霊の追善供を営まんが為、墓地を造りて堂宇を建立したのが当寺のなり始めと言う。従来油沢にありし堂宇も冬期等、甚だ不便を感じ裏沢に移したと言う。貞永(一二三二)、天福(一二三三)時代より地名裏沢と称す所に住する者次第に増加する。その当時、堂宇の近隣に住む富樫某なる者に正嘉年間(一二五七~一二五八)親鸞上人が、滞留せり。その時阿弥陀仏の墨画を書かれ今以て関の富樫藤左エ門家の家宝として仏間に安置してある。
 この頃、弘安(一二七八~一二八七)、正応(一二八八~一二九二)の頃より当地雨量多く数々洪水が起きて、土砂が河川によって流失し、海辺に残り原野となり今の水田となった。
 応仁(一四六七~一四六八)、文明(一四六九~一四八六)時代に、裏沢に住んでおった者たちもおいおい横地の現在の地に移り住む者が多くなった。曹源寺も現在の地に庵室となりて移ったとされる。
 その後、近世の江戸時代になると、幕藩領主がキリスト教徒禁圧のため、寺と檀家の間で契約を結ばせた関係が檀家制度であった。
 また、寺院の本寺、末寺の関係が強調されてくると、当然のことながら本寺による末寺の獲得競争が強力に展開されるようになった。特に曹洞宗の勢力の拡大には道元亡き後の四世瑩山紹瑾は総持寺を建て教団を拡充し、十五~十六世紀には全国的に普及した。つまり布教活動によるところが大きかった。
 旧温海町の寺院二五か寺のうち二三か寺が曹洞宗である。
奥羽地方に曹洞宗を開創したのは羽前玉川寺の(羽黒町)の了然法明であると言われている。慶長三年(一二五一)玉川寺を開創した。
 後世、瑞芳院の本寺である鶴岡の般若寺も田川郡下に広まった十数か寺の一寺であった。
 ここで瑞芳院と曹現寺はどちらが早く開創したかと言うことであるが、曹洞宗荘内寺院歴代和尚傳燈史録(昭和五六年一月二六日発行)によれば、

        開創年代               本寺名・開山
  瑞芳院  慶長六年(一六〇一)   般若寺 三世日峯見昨    
  曹源寺  天和二年(一六一二)      禅源寺 五世即殿全堯

これからみると、両寺とも中世の終わりから近世にかけて創設したものと思われる。又、般若寺の明細帳(由緒書)によると三世の見昨が開いたのは六ケ寺で、そのうちの鼠ヶ関にある瑞芳院は元和三年(一六一七)三月の建立で、檀家は五八軒、境内地十六坪は年貢米で玄米六升を納付したとある。
 日蓮宗である善住寺については、明治三七年興屋地内孝海山と称する砂山に日蓮宗教会所を設置したのが始まりであり、大正二年現在地に移り、昭和二年金剛山善住寺として認可されたとある。(温海町史上巻)

    平成二一年一二月一二日     記す

 参考文献  温海町史上巻 第五章 宗教と芸能 曹洞宗の伝播
 日本仏教史  古代、中世、近世   吉川弘文館刊
     曹源寺由来について  二八世  天外龍見発行  
                   曹洞宗荘内寺院歴代和尚傳燈史録
     大宝山・般若寺の歴史   戸川安章著

1 件のコメント:

  1. 瑞芳院について調べています。

    「天正二年(一五七四)新屋四郎右ェ門と関屋八郎右ェ門の両家が、新関因幡守久正の祈願所として創立した」とありますが、出典を教えて頂けないでしょうか?

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