2012年8月19日日曜日

義経と鼠ヶ関

  鼠ヶ関は、白河・勿来とともに古代における奥羽三大関所とされる。源義経〔平治元年(一一五九~文治五年(一一八九)〕が、兄頼朝の追討を逃れ平泉に向かう途中、念珠関所を通過したことを『義経記』という物語は伝えている。
 このとき機転によって関守の役人をごまかしうまく関所を通ったことが、後になって芝居などがつくられ楽しまれてきた。
 現在の「史蹟念珠関址」は、江戸期になってからの関所址で、当時は「鼠ヶ関番所」と言われ庄内に入る五つの関所の一つであった。また、当時は平屋建かやぶきのものであったことが、当時の絵図によって知ることが出来るが、明治五年(一八七二)の関所の廃止後、建物は二階建て瓦葺に改築されたが、階下は今なお昔の面影をとどめてい。
 義経が鼠ヶ関を通った時代の関所は、新潟県との県境附近にあったこととされるが、いつごろから移転されたかはわからない。
 また、見事な奇襲攻撃で平家を滅ぼした義経は、都人のヒーローであった。
兄頼朝に追われ京から北陸を通って越後からの海路をここ鼠ヶ関に上陸したとして弁天島に、作家村上元三氏の筆で「源義経ゆかりの浜」ときざまれた石碑が建っている。鼠ヶ関のどの辺に上陸したかもはっきりしないので「ゆかりの浜」としたわけである。しかしその後ふたたびお訪れたときには「源義経上陸の地」と書いてくれた。その後、義経は平泉の衣川で死亡したことになっているが、このときは死んでないという伝説さえある。このように義経には分からないことが数多くあるのである。


   平成二〇年一一月一四日        記す 

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